ドワンゴ会長の川上量生氏と思想家の東浩紀氏のTwitterケンカまとめた〜文系dis?から人工知能まで〜
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ツイートはほぼ時系列に並んでいますが話をわかりやすくする上で並び変わっている箇所もあるのでご了承ください。
あとお二方が引用しているツイートはそれぞれ直前のツイートに対応しておりますが、中には話のつながり上対応していないものもありますのでご了承ください。
あとクソ長いのでご覚悟ください。
きっかけはゲンロンカフェの対談後に川上さんがしたツイート。
昨日は議論参加しながら理系脳と文系脳について考えていたが、やっぱり脳の中で扱える論理式のサイズが文系は小さいんだと思った。プログラミングを覚えられるかどうかの資質ともリンクする話だと思う。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
文系は論理が場当たりでつぎはぎなんだよねえ。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
あと、論理式のある記号を定義が確定できているのか、不定のまま仮に値をいれて演算しているだけなのかを厳密に区別しながら思考する能力に文系脳は欠けると思う。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
どれも脳の中で論理式を扱う時に使用できるワーキングメモリが小さいから起こる問題だと思う。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
これが感想かー https://t.co/GCxx4IviiV
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 20, 2015
理系はバカだって呟く文系がそろそろ必要かもね。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 20, 2015
いや、あの場自体は面白かったですよ。 https://t.co/UlZpWJXAQb
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
別にぼくは理系と文系とで理系が優れているとか主張するつもりはなくて、いわゆる文系と理系という意味があるんだかないんだか分からない区分の本質とはなにかに興味があるだけ。文系的、理系的なものはなにに起因して発生するかを考えているだけなんだよね。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
とりあえずのぼくの解釈では文系的思考はある問題に関係する因子を狭い範囲から、寄せ集めてある関係性を見つけ出すというアプローチに思えるし、理系的思考はとにかく問題を一般化してちゃんと定義したモデルをつくろうとするアプローチに見える。どちらの方法も一長一短ある。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
そうだ。さっきからの文脈での意味に於いて文系的アプローチと理系的アプローチはそれぞれ長短あるんだけど、どっちが高度か、あるいは頭が良くないとできないかというと、ぼくは文系的アプローチが上だと思っている。文系のほうが頭いいというのがぼくの結論。理系の演繹なんて単純だし簡単だもん。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
ぼくの認識では文系のほうが頭良くて勝ち組で、理系とかオタクは総合力では負けるのだが、一点勝負で能力を磨いて戦っているひとというイメージ。ただし、文系で頭のいいひとは学問の世界になんかいかないんだと思う。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
文系の学問が成立しにくい理由として、理系的アプローチの演繹的な手法では必要な情報は過去の蓄積として公開され利用できるが、文系的なアプローチの帰納的な手法に必要な情報は学問の府からは実際にはアクセスできないんだよな。多くの場合。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
評論家あるいはネットユーザーでも、たとえば安倍内閣を論じる場合に、本当に必要な情報が入手できているとはとても思えない。政治や経済や社会を動かしているひとの一次情報にはアクセスできないし、マクロな統計データも十分にはない。だから、現実味のない議論になる。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
東浩紀氏の話を聞いてみてもやっぱり政治や社会の実態についてはなにか判断に足る十分な情報を持っているようには見えない。そうするとみんなの主観的な意見を集めて判断材料にしようとかいう一般意志2.0みたいな方向にいくしかないということだろう。あ、これは批判じゃないですけどね。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
昨日のゲンロンカフェでびっくりしたのは、壇上の4人が合意できるテーマとして安倍内閣には反対ですよね、と東氏が持ち出したことだ。仮にも支持率は近年の歴代内閣でも異例に高い4割以上を続けている人気内閣なのに、とりあえずリベラルな言論人ならアンチ権力はあたりまえだということなのか?
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
ようするにだれが総理をやっても駄目だと彼らはいうのだろう。およそ理性的な態度とは思えない。結局、必要な情報無しに政治に口出ししているから、とりあえず権力を批判しているからオッケーみたいな根拠不明な大義が必要になるのだろう。
— kadongo38 (@kadongo38) June 20, 2015
ぼくとしてむしろ驚いたのは、川上さんが現政権を全肯定したことです。支持率については別解釈もありますが、いずれにせよこの溝は、典型的な資本家vs労働者の構図なので永遠に埋まらないでしょう。ネットもその構図は何も変えません。 https://t.co/56R8tcldbw
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
ぼくはべつに労働者の味方ではありませんが、少なくとも資本家の味方ではないです。金持ちがどんどん金持ちになる国はいや。自分自身資本家じゃないし、生まれも平凡な家なのでそう感じる。これは、バカとか不勉強とかいう話ではない感覚の問題であり、最終的には政治ってそういうものだと思いますよ。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
そう、これがぼくが東浩紀氏に感じる大きな不満なんだけど、だれがいったか、それが資本家どうかで判断しちゃうの?だれがいったかじゃなくてなにをいったかが重要じゃないの?東氏は言葉の力を信じる側ではないのか?だいたい今の東氏は資本家じゃん https://t.co/6YH0Oc0JCl
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
資本金500万の中小企業のオーナーは資本家ではないと思います。あと、政治というのは、言葉を使った合理的討議で合意に達するものではありません。むしろ哲学や思想はその失敗の歴史を学ぶものです。 https://t.co/C2ZKY87uVE
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
まあ、結局、文系の論客というのは自分の思想を世の中に押し付けるために議論を使っているということですね。 https://t.co/XuKZjPIfH1
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
政治的な意志決定が合理的で理性的な討議によって導かれるものでないことについては、いろいろと蓄積があるので、もし本当に関心があるのであればご紹介しますよ。問題は、そのような「古い」話にまったくつきあう気なく、こちらを批判する行為では。 https://t.co/lEPVdvCmlq
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
そんなのはあたりまえで、じゃあ、東さんのスタンスはどうなんですか?だから自分も理性的な討議は追求しないでいい。まさか、そうじゃないでしょ? https://t.co/rsPemskH8N
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
文系は言葉の力を信じるひとって、そんな定義は哲学や思想について無知でないと出てこない。それは「文系を知らないひとが文系について抱くイメージ」にすぎない。文系をバカにするのはいいけれど、無知はよくない。川上さんは、文系がバカというのではなく、単純に文系に興味ないと言うべきです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
言葉の力は無力というのは一般的には真実でしょう。でも、時には思想が世の中を動かし大きな流れをつくることがある。そのひとつが、堺屋太一の大阪万博だ。大阪万博は思想だ。そういっていたのは東さんですよね。 https://t.co/ftYAdRGzD0
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
だいたい資本金500万円だと資本家じゃないとか、野間氏の屁理屈とレベルが変わらない身勝手なレッテル貼りでしょ https://t.co/XuKZjPIfH1
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
うーん。このレベルに落ちてきたか・・・ https://t.co/rePtJ8UBgf
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
落ちてきたとかレッテル張りで議論する方が最低でしょ?ネトウヨと変わらないじゃん https://t.co/r9G83YUNLJ
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
そうですね。口げんかですね。ではたがいに接触は止めるということで・・・ https://t.co/4GnWAh3RSR
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
そもそも川上さんの文系はバカだという発言だって何の実証性もなければ論理性もない単なる「屁理屈」で、つまりはそれって川上さんが批判している野間さんと変わらないとも言えるわけで、もうこれ圧倒的に不毛なんじゃないかな。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
僕が言ってるのはなぜ文系はバカな人間が偉そうにのさばることが許容されるのかという問題提起ですよ。文系=バカではない。僕の仮説に当然異論はあるでしょう。しかしそれなりの論拠は示してます。 https://t.co/dXAmLn2O9l
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
理系でもバカはのさばっているのでは。政治的に偏向した科学者とかカルトの医者とか枚挙にいとまがない。それは、川上さんからそう「見えている」だけにすぎない。でももう止めましょうよ。 https://t.co/oIHQwgbhFf
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
以上の川上さんとの「口喧嘩」とは関係ない話として呟くけど、「言葉は無力でなにも生み出さない」と思っていないと、とてもゲンロンカフェみたいな場所は運営できない。哲学の歴史ってソクラテス以来ずっとそんなもんで、言葉を信じているから議論するんじゃないんです。わかりにくいだろうけど。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
自分も思想で世の中を動かしてみたい。そういってはじめたのが福島観光地化計画だったんじゃないですか?ぼくは東さん本人の口からそう聞きました。一般意志2.0もルソーのように世の中を動かすという志があって発表したものじゃなかったんですか? https://t.co/tYSNujqWtB
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
東さんがぼくが安倍政権支持は資本家だからだとレッテル貼りしたことに怒って、東さんは言葉の力を信じてないのかと文句をいったわけですが、まあ、信じてないといまさらいうならそれもいいでしょう。でも、言葉の力を信じないということには、ふたつ論点がある。
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
ひとつは文字通り言葉が世の中に与える影響力です。もうひとつは言葉というのが理性的な議論という意味でぼくは使っているということです。そして、東さんはどちらも否定しているわけです。現実の政治を動かしているのは理性的な議論ではない。そして自分は言葉を信じずに議論するのだそうです。
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
じゃあ、東さんがやろうとしているのはどういう議論なのか。世の中を動かすのは理性的な議論じゃない。それはわかった。言葉に力がない。それも分かった。じゃあ、東さんは世の中に影響を与えないと知りながら、理性的な議論をするのか、それとも東さんすら理性的じゃない議論をするつもりなのか。
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
東さんが言葉の力を信じるにかみついたのは論点ずらしとぼくは思っていますが、川上量生が安倍政権を支持するのは資本家だからだ、と単純に決めつけるのは、まったく理性的な議論じゃないでしょう。じゃあ、なんで、民主党政権時にドワンゴは時の政権にたてついて抗議文を送ったのか?
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
それに東氏はぼくが安倍政権全肯定とかいっているけど、全肯定なんてしないでしょ?総体として肯定しているだけなのと、支持率あるんだから、肯定するひとが世の中にいないという仮定が不合理だと指摘しているだけです。むしろ全否定するのが当然みたいな態度がおかしいんじゃないのと指摘している。
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
東さんも言葉の力なんてないと思わないとやってられないと書いているように、結局、言葉の力を期待し渇望しながらも絶望しているだけでしょう。ぼくは言葉の力が時に世の中を変えることがあるというのを信じていますけどね。少ないかもしれないけど、ルソーの一般意志はそうだったように。
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
ぼくは、自分が学者の世界からいかに軽蔑されているか、だれよりもよく知ってるし、それはしかたないことなので近づかないようにしているんだけどな。。院生のみなさんもぼくの本なんて読まないほうがいいよ。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
でも学者じゃなくても学者の本を読み、感想や意見を言う自由はある。ぼくがやっているのはそういうこと。学者のひとの(一部の)良くないのは、その自由がわかっていないところだとは言えるかもね。専門家の本については、専門家しか意見を述べてはいけないと思っている。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
「生きる意味はなんですか」と問う若者がいたとして、まずは「生きる」とか「意味」の定義をしっかりして考えろと答えるのが川上さんで、そんなの「ある」に決まってんだろ、わからないならひっぱたくぞというのが野間さんというのが、先日の対立構図のような気がします。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
ちなみにぼくは「生きる意味はなんですか」と話しかけてくるひとがいたら、「そういうことを考える若いやつはいっぱいいるし、答えもだいたい出そろっているので、ほかのひとに聞いてくれ」と答えます。哲学はそういうもんだと思います。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
東さんの考える"理系の川上さん"はそうかもしれないですが、生きる意味はなんですか、という問い自体は解釈不能なので、なんでそういう問いを発するような若者が生成されるのかを明らかにしようとするのが正しい理系でしょう。 https://t.co/WhoPRAdzDL
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
ちなみにぼく個人が答えるなら、(あなたがおそらく考えている意味での)生きる意味なんてない、とシンプルにいいますけどね。
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
ぼくは別に川上さんに対して偏見を抱いているわけではなく、この一連のツイートがそうだったと言いたいだけです。あとこれは当然単純化です。ぼくの文系の価値についての考えはいま書きました。 https://t.co/cvszMHbHe6
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
事実遂行的/行為遂行的の境界づけというのは、フレーム問題とか言われて一昔前の人工知能研究では問題になっていた。いまはたぶんビッグデータのディープラーニングで統計的に解決ということになっているんだろうけど、けっきょく、いま目の前のこの言説がどっちかというのは扱えないんじゃないかな。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
文系についてなにか語るのなら、歴史を押さえてください。理系は歴史がなくても成立する知かもしれないけど、文系は歴史そのものです。歴史がない定義は文系には存在しません(近代経済学を除く——といっても、ハーシュマンが言うように、近経の基礎である「利益」もまた歴史的概念でしかないですが。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
"文系"はそんなこと悠長なことをいっている状況じゃないとぼくは思いますけどね。"文系"の学問がやっている情報処理とはどういうものなのか、そういうことも含めて扱える発展した"理系"的アプローチによって今後は解明されていくでしょう。 https://t.co/NoNLqTfZYI
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
裏返せば、文系の拒否とは歴史の拒否そのものです。「おれたちはここでゼロからスタートして、論理だけで人類について理解し新しい提案ができる」と主張することです。それは悪ではないけれど(なぜならそこから有用な発明が生まれることもあるから)、傲慢ではあるとぼくは考えます。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
たとえば「意味」という概念。「生きる」という概念、どちらも哲学史的にきわめて複雑な概念です。そもそも意味があるとはなにか? そもそも生きるとはなにか? ギリシア以来の長い議論があります。それを歴史の知識なしに「明確」にすることなんてできないと、まともな哲学者は考えるはずです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
ぼくは別に、だからみな哲学の本を読めと言っているわけではありません。けれども、いったいなんの権利をもって、歴史の知識がなく論理だけですべての言葉を明確にして議論ができると考えているのか、その根拠が理解できないと述べているのです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
論理だけですべてを明確にして議論ができる、そう考えているひとは"理系"には多い。それは事実でしょう。しかし、それこそディープラーニングなどの人工知能の研究が示唆するのは、人間の脳の情報処理の本質は場当たり的な反応の束だということ。 https://t.co/XKJqYxIxgB
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
ぼくもまた直後のツイートでそのことは言及しております。場当たり的な反応の束、それが「歴史性」ということです。 https://t.co/kHcyHQdmIB
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
ビッグデータとかディープラーニングとかいうのは、本当は歴史性の発見のことだと思うんだけどな。人工知能のひとはそういう議論はしていないのだろうか。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
人工知能で今後どうやってオントロジーを生成していくか、もしくは逆にオントロジーを学習させるか、というあたりが、東さんがおっしゃる問題意識に近い人工知能のひとが認識している課題だと思います。 https://t.co/VXiuTyOCoY
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
それはよいことです。しかしそれは、文系的な歴史の知を必要なくさせるような解明であったり、原理の発見であったりするのではない。人工知能も、人間と同じように歴史から学ぶしかないという結論になっただけです。 https://t.co/L45bPZylNd
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
文系は定義を明確にして話さないのでバカだとおっしゃる理系のひとは、ぜひ、国家とか正義とか民族とか家族とか知識とか言語とかいった概念を明確にしてほしい。というか20世紀前半にいちど論理実証学派によってそういうことは企てられ、いちど失敗しているので、それを押さえて明確にしてほしい。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
そして概念とか、概念どうしの論理的な関係性なんてものは脳の場当たり的な反応のなかであとづけで後付け的に生成されることがあるという程度のものだということでしょう。東さんがいう理系の問題点すらすでに理系的な学問で解明されつつある。 https://t.co/P8zpV0QAzF
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
そうです。だとすれば、知性とは、論理に加えて、どれだけそのビッグデータ=歴史に触れたかによって鍛えられるという結論になるはずです。つまり、歴史を軽視する「理系」的な議論は、まさに川上さんの主張にしたがって「弱い」わけです。 https://t.co/3pPAP4bBWk
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
人工知能が生み出されつつある、というのはすごいことです。本当にすごい。しかし、いま画期的と言われているのは、人工知能もまた正義や国家や民族や言語といった単純に論理的には「定義不可能」な概念を扱えるようになるかも、という話です。しかし文系はそもそもその前提でやってきているのです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
人間にできないことで人工知能にできることはたくさん生まれるでしょう。しかし、ぼくとしては、人文的な知については、原理的には人間ができることが人工知能にもできるようになる(ただし量的問題は一気に解消されるのでその点は画期的)、ということにしかならないだろうと考えています。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
こう言い換えてもいい。現実の異性のように振る舞う人工知能が現れたとする。低価格で量産されればさまざまな問題が解決する(あるいは新しい問題が生み出される)。しかしそれは本質的には人間の異性とのあいだで起きる問題の変奏にすぎない。人間は人間である限りそういう人工知能しか作れない。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
なぜならば、人工知能が学ぶ対象となるビッグデータそのものが、人間によって生み出されているからです。人間は人間しか育てられない。というか、人間以外のものによって育てられた人工知能を、たぶん人類はそれほど必要としない(研究用には作るかもしれませんが。たとえば人工イルカとか)。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
というわけで、ぼくとしては、結局のところ、文系的な知、というか、人類がいままでなにを考え発言してきたかについてのパターン認識の重要性というのは、今後もそれほど失われないと思うのです。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
東さんの文系的な知と人工知能との関係。また狭義の"理系的な知"への優位性についての考え方は分かりました。で、そのうえでも、やはり、安倍支持=資本家などの安易なレッテル貼りを正当化する根拠が分からない。それは文理問わず雑な議論では? https://t.co/v9hMYHaRnd
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
まずぼくは優位の話はしていません。川上さんが文系脳はスペックが低いとおっしゃったので反論したまでです。つぎに、この話題と安倍政権の問題は直接には関係ありません。(続きます) https://t.co/KWZ0CSTDVC
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
@hazuma まあ、安倍支持はまあいいとしても野間氏の議論は論理的な整合性を大いに欠いていると思いますが、それも歴史性だからおっけーということでしょうか?それはまさしく理性的な議論の否定に見えますが、本当に理性的な議論なんて文系には必要ないという考えですか?
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
こちら見落としていました。野間氏については、数時間前呟いたとおり、彼は議論などしていない。発言全体がある政治的な意図を達成するための「行為」だという理解です。そういう言葉の使い方はあります。他方文系にもむろん理性的議論が必要です。 https://t.co/bpwJ6Q7Ypt
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
まあ、彼の発言全体が「行為」だというのは同意です。でもだったら彼の主張を理屈として扱うべきではない。混乱するから。とぼくは単純に思います。これはまあ感想ですけどね。 https://t.co/cD4ar4LS1x
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
@hazuma なにかについて複数の人間の間で共通の概念を定義できない。あるいはそもそも個人でも概念を定義できない。そういったことはもちろんあるでしょう。それはそのまま受け入れるべきときもあるかもしれません。でも可能な限りは議論は論理的な整理をすべきではないでしょうか?
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
ぼくはそうしているつもりです。ぼく以外では、いま川上さんと野間さんを繋いで話を成立させるのはほぼ不可能ではないかと思います。論理的整合性だけでは会話が成立しなくなるという判断も含めて、です。 https://t.co/6HNw48meWR
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
@hazuma むしろそういう意味ではぼくは野間氏と他の人間の主張の違いがどのあたりに起因するかわりと明確になったので前回の言論カフェの議論はよかったと思いますが、それをそのまま受け入れずに乱暴なまとめをしたのは東氏の側に見えます。
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
この会話はまず最初に、川上さんが「文系脳と理系脳の違い」というきわめて乱暴な、そしてゲンロンカフェでは出なかった話題をツイートしたところから始まったのです。いささか乱暴な物言いがあったことは謝罪しますが、その点はご考慮ください。 https://t.co/1inwNQwzVx
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
(前の続き)「資本家」の定義はマルクス主義のものがあります。日本有数のメディア複合体の大株主である川上さんが資本家であるのは疑いないと思います。つぎに、小泉以降、ときに現安倍政権下で労働問題が急浮上している(たとえば派遣法改正)のもまた、一般的に認識されていると思います。(→)
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
(前の続き)それゆえ、ぼくとしては、川上さんがそのような問題にほとんど関心をもっていないことに驚き(繰り返しますが、安倍政権支持でもよいのですが、それが自明であることに驚き)、ここには階級問題が現れているのだなと思ったわけです。これはそれほど非論理的な主張ではないかと思います。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
ぼくが資本家の定義に当てはまるのは受け入れるにしても、だから資本家だから安倍政権支持だと一方的に断じるのは、無茶苦茶でしょう。だいたいぼくは新自由主義は嫌いです。派遣法改正は小泉政権ですよね。 https://t.co/8z3p0EZS2a
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
派遣法はいま新たな改正が話題になっています。そして資本家だから安倍政権支持だと断じたのではなく、安倍政権支持という話をうかがったので資本家だからかなと判断したわけです。順序が逆です。 https://t.co/pJGo65BJj6
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
いまの改正案については論じるほど詳しくありません。それほど興味は無い。ぼくが安倍政権支持なのは会場でも発言したと思いますが、安定政権だからです。東さんが確認したのはアベノミクスですよねという質問ですね。いずれにせよなぜ派遣法がいま? https://t.co/KnkXDqvOrj
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
ぼくがツイートしたのは議論できないタイプの文系の脳はどういう構造になっているかという乱暴な仮説です。文系全部を否定するように見える書き方になったのは失礼しました。本意ではないです。 https://t.co/HPslHUHbox
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
それはよかったです。ここで合意がとれたので、ここまでのやりとりは有意義だったと思います。 https://t.co/hHAfLc2mBy
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
ぼくが驚いたのは、安倍政権に反対が当然という東さんの態度です。だって支持率4割超だし、支持のひとがいたっていいじゃないですか。ぼくが支持が自明だという態度をしたのは、そのことを指摘するための強調です。キモオタはきもくないのと同じ。 https://t.co/pd061UimkV
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
繰り返しますが、ぼくは支持に驚いたというよりも、当然支持だというのに驚いたのです。ただ、ここは会話のニュアンスになるので水掛け論ですね。新自由主義の行き過ぎを川上さんが危惧されている、というのがここで明らかになったのはよかったです。 https://t.co/gHTIhDT15g
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
新自由主義の行き過ぎというか、行き過ぎなくても、そもそも新自由主義という思想がぼくは嫌いですよ。 https://t.co/65ZGEWa7qD
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
なんにせよ、支持する理由をぼくは発言してないのに決めつけられて、非論理的な主張ではないといわれても不本意です。 https://t.co/pd061UimkV
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
理解しました。資本家だからそう考えるのですね、という言い方は確かに乱暴でした。ぼくももう少し詳細に政権支持の理由を伺うべきでした。申し訳ありません。 https://t.co/Sn9rwpVs4o
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
……というわけで、文系もバカではない、新自由主義も行き過ぎはよくないという、ごくごく常識的な合意点がとれたと思うのだけど、どうだろうか>ROMの方々……
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
常識的すぎてその合意点が意味ありますかね?ぼくは文系のバカな議論がネットを含む世間に氾濫しているという認識は変わらないし、新自由主義なんてそもそも倫理的にも正しくなければ、持続可能なモデルでもないと思っていますけど。 https://t.co/k66IcECuAR
— kadongo38 (@kadongo38) June 21, 2015
こういう問題については、たいていの合意は常識すぎて意味がないものかと・・ https://t.co/dkl0BPDsYR
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
川上さんとの論争については、本質的な部分は解決したと思います。野間さんの反論については、事実確認的命題(主張)と行為遂行的命題(パフォーマンス)を区別するのは原理的に難しいので、今の比率では前者の説得力は落ちるのはやむをえないし、それは受け入れるべきだと判断しています。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) June 21, 2015
以上です。
こう並べると理解しやすくなるなあと思いました。
では。
コメント
コメント一覧 (7)
ありがとうございました
そこを東に突っ込まれたもんだから必死に論点をすり替えようとしてるだけ。
中学生が背伸びをして書いた作文みたいだよ。
事実を言っているだけであって、優劣の話はしてませんよ、みたいなドライな考察がしたいんだろうけど、
その事実というのが感想でしかないのが悲しい。
ただの感想でしかない事を論拠だと信じている自分を客観視するのは、酷だろうな。
東氏が想像以上に冷静で大人の対応してて驚く
此方のBlogも、どうかずっと残っていてほしいです。